私、後藤洋子のこれまでのこと、
なぜいまエンパシープロモーションを
お伝えしているか?知っていただきたく、

「My story~エンパシープロモーションまでの道」を、

シリーズでお届けしています。

 

第3回の今回は、
「強く想い、願うと、ヒントやチャンスがやってくる」
人生の大きな転機編です。

 

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まだの方はこちらから読んでみてくださいね

【マイストーリー① 人生でやりたいこと・軸の原点は子どもの頃にある

【マイストーリー② 人生の転機を迎える時に出て来るもの

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前回

転職活動をしている時、
遊びに行ったテニスで

意気投合した社長の
会社に入社することになった、

というところまででした。

 

その会社に新たに「社長室付」ポジションを
つくってもらい、入社します。

ガーデニング業界の会社でした。

 

社長室の後は
新規事業の立ち上げをしたり、

店舗の運営など、

さまざまな体験をさせてもらい、
8年ほど在籍することになりました。

 

自分でも力をつけようと、
半年間、ガーデンデザインのスクール
週2ペースで通ったりも。

卒業するには出席や課題で厳しい条件があり、
ちょうど出張が多い時期でもありましたが、
死に物狂いでやりきりました

 

卒業課題では、課題の質というより
おそらく頑張りが評価されて、
特別賞をいただきました。

嬉しかったです^^

 

 

その頃、社長に

「自分も”建築士”
”インテリアコーディネーター”というような、

何かのプロフェッショナル・スペシャリストになりたい」

と話したところ、

ゼネラリストという生き方もあるよ」

と言われました。

 

当時は今一つピンときませんでしたが、
印象的な言葉でした。

 

 

後に自分の「ライフワーク」
突き詰める時につながっていきますが、

今では社長は私のことを
よくわかってくれていたと思います。

 

 

その頃の私は
「~でなければならない」が強かったと思います。

感情的になることも多かったし、
自分に自信もなかったです。

 

部下との関係性を上手く作れず
悩んだりもしました。

 

 

プライベートではこの頃も
外部の人たちとの交流が盛んで、

のちに『金持ち父さん』のロバートキヨサキの
「キャッシュフローゲーム」のゲーム会を
仲間と主催する流れへと続きます。

 

 

2001年2月、父親が急逝

お父さんっ子でもなかったのに、
父親の死は私にはあまりに衝撃でした。

 

いるのが当たり前で、
いつでも帰れる場所だった。

その両輪の片方がなくなってしまった、

そんな感じでした。

 

父の死をきっかけに、

「自分の人生、このままではいけない」

と強く思うようになりました。

 

 

しばらくは忙しさに追われ、

それでいて週末は
「キャッシュフローゲーム会」
などのイベントをする中、

ある一つのきっかけを手にします。

 

本田健さんの無料小冊子
『幸せな小金持ちへの8つのステップ』です。

 

 

何かを感じ、最後の1冊を、
別の方がすでに手にしていたのに

「どうしても欲しいです!」

と主張して、
奪い去るように持ち帰ったのです(笑)

 

 

その小冊子を夏の暑い日に、
立ち上げた事業部の
現場管理の休憩時間に、

むさぼるように読んだのを覚えています。

 

「私もこんな生き方がしたい!」

心からそう思いました。

 

 

(その後小冊子をもとに出版された本など、たくさん読みました!

 

 

何かを強く想い、願うと、
ヒントやチャンスがやってくる
ものですね!

 

今回はここまでです。

 

第4回は「求め、信じて行動することが、次へのきっかけを運んでくれる」
ライフワーク発見編です。